ホタル百科事典/ホタルに関する調査研究レポート
ヘイケボタルにおいても、ゲンジボタル同様に保全に関して多くの問題を抱えており、絶滅が危惧されている場所も少なくない。しかしながら、生息地において50年後、100年後に個体群はどのような数に変動するのか、あるいは絶滅の可能性はどのくらいあるのか、といった個体群の存続可能性の検討は全く行われていない。そこで、千葉県松戸市A地区における個体群動態( Population dynamics )の数理モデルを用いたコンピューター・シミュレーションに基づく個体群存続可能性分析( Population Viability Analysis, PVA )により、ヘイケボタルの存続可能性の評価と絶滅確率、最小存続可能個体数の推定を行った。
1975年〜1978年に行った対象地での調査と人工飼育データを基に、前項同様に生活史からヘイケボタルの個体群動態モデルを構築した。生存率と繁殖率に基づきヘイケボタルの生活史を以下のように区分した。
ステージ |
項目 |
---|---|
成虫 |
メスの個体数 |
卵 |
卵数 |
幼虫(1〜2齢) |
孵化した幼虫数 |
死亡数 | |
次段階への数 | |
幼虫(3〜終齢) |
死亡数 |
上陸数 | |
蛹 |
死亡数 |
成虫 |
羽化数 |
死亡数 | |
産卵可能なメスの個体数 |
ヘイケボタルの生育段階に基づく推移行列モデル中のパラメータは、現地調査データ(千葉県松戸市A地区)を基本にし、現地では不明確な部分は1977年〜1978年に行った人工飼育のデータから補完し算出した。推移行列の各行列要素の算出は、表1.の基準で分類し、それぞれの平均値を用いた。また、羽化成虫の雌雄比率は1:1とし、産卵可能なメスの生存率を0.467として繁殖率を求めた。
0 |
0 |
0 |
0 |
53.355 |
0.850 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.245 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.127 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0.463 |
0.350 |
上記の推移行列の最大固有値(λ)=個体群増加率を計算すると、1.0006765 となり、一年間に0.068%というわずかな増加傾向にある。
ヘイケボタルの生息地(水田)での環境変動は、影響を受けやすいと考えられる幼虫期の生存率と発生にばらつきがある成虫の繁殖率を変動させた。数値は、arcsin 変換を行い正規近似した後、各々平均値と標準偏差を求め正規分布を仮定して乱数値を発生させ、その年の各パラメータの値として翌年のそれぞれのステージの個体数を予測した。
行列計算の値は、100回(100年)分計算し、これを500回繰り返し、50年後のヘイケボタル個体群(成虫)の個体数予測のシミュレーションを行った。そのうち個体群が絶滅した回数(卵、幼虫、蛹、成虫すべてが0になり、その後も0の状態が続いた場合)を求め、全体の繰り返し数で割った値を絶滅確率とした。
本シミュレーションでは、以下の平均値、標準偏差を用い、環境収容力を1〜2齢幼虫を10,000匹、3〜終齢幼虫を5,000匹、合計15,000匹と仮定して、2つの初期個体群サイズについてシュミレーションを行った。(グラフ1)
平均値 |
標準偏差 |
|
幼虫(1〜2齢)の生存率 |
0.245 |
0.026 |
幼虫(3〜終齢)の生存率 |
0.127 |
0.001 |
繁殖率 |
53.355 |
1.333 |
グラフ1.ヘイケボタルの個体群動態
初期個体群サイズが20匹の場合でも100匹の場合でも、50年後の絶滅確率は0%という結果になった。個体群動態を見ると、個体群サイズに関わらず初期値に対して55%〜57%の増減を繰り返しながら推移し、0になることはなかった。
今回の分析では、ヘイケボタルの最小存続可能個体数 ( Minimal Viable Population,MVP )は、求めることができなかった。しかしながら、本分析においてはアリー効果や近親交配等の個体数が少なくなると確実に生存率や繁殖率を低下させる決定論的要因については組み入れていないため、実際は個体群サイズが20匹の場合に存続する可能性は低くなると考えられる。
ヘイケボタルの個体群動態モデルに用いた生活史パラメーターのうち、絶滅確率に与える影響が大きいものはどれなのかを検証した。
まず、パラメータと内的自然増加率(=r)との関係を調べた。(グラフ1.2)ヘイケボタル幼虫の生存率と成虫の繁殖率をそれぞれ平均値を中心に増減させた時の内的自然増加率を求めると、強い相関関係にあり、パラメーターの値が大きくなれば大きな内的自然増加率が得られた。また、成虫の繁殖率では、0.5ポイント毎に内的自然増加率が0.0002ポイント増減するのに対して、幼虫(1齢〜2齢)の生存率では、0.001ポイント毎に0.0007ポイント増減し、傾きが大きい。また、平均値より0.002ポイント以上生存率が低下すると、個体群は減少傾向になる。つまり、幼虫生存率は内的自然増加率に大きく影響し、個体群の絶滅確率にも影響すると考えられる。
グラフ1.ヘイケボタル幼虫の生存率と内的自然増加率
グラフ2.ヘイケボタル成虫の繁殖率と内的自然増加率
そこで、各パラメータの変動と50年後の絶滅確率の関係をコンピューター・シュミレーションにより分析した。成虫の繁殖率についてパラメーターの確率変動の大きさ(標準偏差)を変えて調べた。この時、他のパラメーターの値は一定にし、初期値は100匹とした。(グラフ3)
グラフ3.ヘイケボタル成虫の繁殖率と成虫の発生数
繁殖率の標準偏差の大きさは、変動幅が0に近い(0.00001)場合から、変動幅が大きいもの(10.0)までの値を用いた。計算結果は、確率変動を大きくしても50年後の成虫の発生数に幅があるものの、繁殖率の確率変動は、ほとんど絶滅確率に影響していないことが分かった。
グラフ4.ヘイケボタル幼虫の生存率(1齢〜2齢)と成虫の発生数
グラフ5.ヘイケボタル幼虫の生存率(3齢〜終齢)と成虫の発生数
次に、幼虫の生存率について同様に調べた。パラメーターは、まず1齢〜2齢の値(実測値は0.036)を用いた。計算の結果は、絶滅確率は標準偏差0.15では4%、0.2では15%となり、変動幅が大きくなるごとに絶滅確率も大きくなることが分かった。(グラフ4)
一方、3齢〜終齢の値(実測値は0.001)では、絶滅確率は標準偏差0.09で2%となった。(グラフ5)
今回の数理モデルを用いたヘイケボタルの個体群存続可能性分析の結果から分かることは、まずヘイケボタルの生息環境である水田の環境が、非常に安定しているということである。そもそも水田は、人の手によって作り出された環境であり、稲作という工程は毎年変化がない。ヘイケボタルは、この水田環境に適応して生活していることから、個体群動態が安定していると考えられる。ヘイケボタルは多少の発生増減はあっても、毎年変わりなく発生するのである。
次に、ヘイケボタルの成虫は、ゲンジボタルのように短期間にまとまって発生することは少ない。また、産卵数も少ない。しかしながら、今回の分析から、成虫の繁殖率は絶滅確率にほとんど影響していないことが分かった。ただし、幼虫の生存率は絶滅に大きく関係していた。特に3齢〜終齢幼虫の生存率よりも1齢〜2齢幼虫の生存率が大きく関与していた。実際の水田では、ヘイケボタルは秋の水が少なくなる時期には、十分な耐性がある3〜4齢幼虫に成長しており、冬期は休止状態となり春に活動を再開する。つまり、秋までにどのくらい幼虫が成長し生存できるかが重要であると言える。
ヘイケボタルは、発生時期やパターン、産卵数などゲンジボタルと大きく違っていても、水田という安定した環境に生息することにより、種を存続させてきたと言える。昨今、ヘイケボタルの著しい減少が各地で起きているが、これらは農薬使用等の耕作方法の変化や水田の放棄による乾燥化など、人為的なことが原因による水田環境の多大なる環境変動によるものであると考えられる。
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