ホタル撮影の方法/私の撮影機材

東京にそだつホタル


ホタル鑑賞と撮影のマナー

ホタル鑑賞とホタル撮影には、知っておいて欲しいマナー(鉄則)があります。

ホタル鑑賞のマナー

ホタルの生息地では、以下を絶対にお守りください。

  • ホタルの発生地内をライトを付けたまま車で走ってはいけません。
  • ホタルの発生地内で車のハザードランプを点灯させてはいけません。
  • ホタルや周囲に向けて懐中電灯を照らしてはいけません。
  • 懐中電灯に赤いセロファンを巻いて照らしてはいけません。
  • ストロボを焚いて(携帯電話も同様)ホタルの写真撮影をしてはいけません。
  • ホタルを採集してはいけません。
  • 棒や傘などを振り回し、ホタルを傷つけてはいけません。 
  • 発生地内の至る所に立ち入ってはいけません。
  • 発生地内にゴミ・煙草の吸い殻を捨ててはいけません。

ホタルは光る昆虫です。光ることによって、オスとメスがコミュニケーションを図って子孫を残すのです。車のライト、ハザードランプ、懐中電灯、携帯電話の液晶画面、カメラのストロボ等々は、ホタルの繁殖行動を邪魔してしまいます。

ホタルが棲む里山は、とても暗いです。その暗闇あってこそホタルは光ります。ホタル鑑賞に出かける場合は、ホタルが飛び交う場所に日の入り前に行きましょう。そうすれば、目が慣れて懐中電灯は必要ありません。

虫とりを楽しむ

 私は、東京の下町生まれで、家の周りには昆虫が住んでいるような自然環境はほとんどありませんでしたが、そんな私が虫好きになったのは、小学校二年生の時に千葉県松戸市に移り住んだことがきっかけになっています。今ではすっかり様変わりしてしまいましたが、当時は、まだ雑木林が多くあり、フクロウやコジュッケイなどの野鳥が鳴き、ノコギリクワガタやシロスジカミキリも当たり前に見ることができました。谷津(他の地域では谷戸という)のため池では、ミズカマキリが獲物を待ちかまえ、水田ではヘイケボタルがまとわりついてきたものです。夏休みには、捕虫網を持って朝から晩まで虫捕りに没頭し、捕らえた昆虫は標本にしたり、その場で観察してから逃がしたり、或いは飼育してその一生を細かく観察するという毎日を過ごしていました。

私が子供の頃と比べると、最近では、お子さん達が捕虫網を持ってかけずり回るという光景は、あまり見かけなくなったような気がします。昆虫への興味は、今も昔も変わらないと思いますが、昆虫がたくさん住んでいる里山環境が失われているということが、大きな原因の一つとして挙げられるでしょう。また、ご両親の教育方針や生活スタイル、或いは社会全体の風潮も影響しているのかも知れません。いずれにせよ、昆虫の生息場所で、昆虫を手に取って見るという経験は減り、すべてインターネットの情報を頼りに、バーチャルの世界の中だけで終始するということが多いように思います。
 日本ホタルの会名誉会長である矢島稔先生が園長を務めていらっしゃる「ぐんま昆虫の森」では、観察を終えたら放すことを約束に、捕虫網を貸し出しています。お子さん達は、里山の中で目を輝かせながら、無我夢中でチョウやトンボ、バッタなどを追いかけるのです。こうした光景は、フィールドで体験することの大切さを改めて実感させます。
 しかし、虫捕りは捕る側の思想や目的によっては、疑問に思うこともあります。昆虫の分類や系統、生態研究のための標本ならともかく、単なるコレクションとして標本箱に並べられた何百頭ものゼフィルスやギフチョウ、そして壁一面に張り巡らされたモルフォチョウのオブジェなどを見ると、珍しさと美しさゆえに収集家のターゲットにされた昆虫達の悲しい運命を感じてしまうのは私だけでしょうか。

 ホタルについても、悲しい出来事があります。例えば、地域住民の方々の地道な努力で、良好な里山環境が保全された結果として自然発生したホタルが、次々に捕られ、その翌日、売店やネットオークションで売られていたりするのです。「ホタル狩り」という言葉さえも、「紅葉狩り」のような風情としてではなく、まさに「狩り」「乱獲」という意味・行為に思えてしまいます。こうした虫捕りは、昆虫にダメージを与えるばかりではなく、虫捕り本来の意味や重要性、楽しさなども覆い隠し、すべてを誤解へと導いてしまいます。
 人それぞれ様々なお考えをお持ちでしょうが、私は、これまでの経験や体験から、ホタルをはじめとする様々な動植物はそこに生きているからこそ意味があるということ、そして彼らを見たければ、またその場へ行けばよいという考えを持つようになり、随分前から捕虫網をカメラに持ち替えて、「虫捕り」ならぬ「虫撮り」を楽しんでいます。虫撮りは、昆虫の生息場所において、その場(環境)の四季折々の美しさを切り取る風景写真であり、また昆虫の生きているありのままの姿を写す生態写真でもあります。美しい作品に仕上げるためには、カメラの機械的なテクニックの習得も必要ですし、更に芸術性をも追求するのであれば、感性も要求されるでしょう。尚かつ、昆虫の習性を学ぶことやシャッターチャンスをひたすら待つ忍耐力がなければ、見応えのある一枚にはなりません。ただし、狙った瞬間を美しく捉えることができた時の喜びと興奮は格別ですし、その一枚は学術的にも貴重で重要な資料にもなり得るほど、「虫撮り」は奥の深い趣味・仕事と言えるのではないでしょうか。

 昨今、デジタルカメラの普及に伴って写真撮影を楽しまれる方が多くなっています。デジタルカメラは、その性能も機能も優れたものが、求めやすい価格で購入できるようになり、フィルム代を気にせず気軽に撮ることができます。画像は、パソコン上で簡単に補正や加工ができ、自宅でプリントすることもできますが、私はデジタルではなく、「オリンパスOM−2」という一眼レフを25年以上も愛用しています。リバーサルフィルム(ポジフィルム)の色調や色彩の美しさが昔から好きで、銀塩に多少のこだわりをもって撮り続けています。ただし、今やフィルムとデジタルの差はなくなりつつあり、マクロ撮影(昆虫のクローズアップ撮影)では、むしろデジタルの方が繊細でシャープな画像が得られるように思います。好みや用途、被写体によって使い分ければ、表現力の幅も広がり、喜びや興奮も増感されるのではないでしょうか。
 勿論、虫撮りにおいてもルールは守らなければなりません。デジタル画像をドローソフトで加工し、虚偽の写真を創り出すことは、芸術作品としては認められても、生態写真としては価値がありません。また、撮影のためなら何をしても良いというわけでもありません。当然、立入禁止の場所もあるでしょう。ホタルの写真を撮るならば、ホタルの発生現場では、ストロボを使用しないことも常識として覚えておきたいものです。 「虫撮り」は、何百枚撮って、ようやく一枚良い結果が得られるか得られないかというものですが、昆虫や自然を大切に思いそっと語りかければ、彼らはこころよく出迎えて、良いポーズをとってくれるに違いありません。「捕る」よりも「撮る」。私が里山から持ち帰るものは、観察記録と写真、そしてゴミと思い出といったところでしょうか。

 「虫とり」は、私たちが昆虫を知り、昆虫と親しむための最も基本的な手段です。ただし、私たち人間だけが満足して終わるのではなく、昆虫や自然環境の保護・保全に少しでも役立つものになるならば、それはすばらしいことではないでしょうか。
 少年時代は「虫捕り」を、成長したら「虫撮り」に変態してみるのも、昆虫へのささやかな愛情かも知れません。

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