ホタル百科事典/ホタルの生息分布
ホタルは、この東京においても19世紀半ばまでは現在の都市域にもごく普通に見られたようです。(ただし、ホタルの種類については不明です。)江戸時代、1735年発行の「続江戸砂子」によれば、江戸市中のホタルの名所として、高田落合、関口、王子石神井川、谷中宗林寺などがあげられています。
また、1827年刊行の「江戸名所花暦」においては、「ほたる沢、姿見の橋、王子下通り、江戸川の辺、深大寺」が名所であるという記載があり、これらには1万人の人々がホタル見物に集まっていたようです。
図1.江戸名所花暦「螢澤」
図2.江戸名所花暦「姿見の橋」
1834年(天保5)〜36年に出版された『江戸名所図会』(図3.4)の中には、「落合土橋」の項にホタルについての説明があります。現在の新宿区下落合近辺で、当時の神田川上水では、高田から落合にかけて、数多くのホタルが生息しており、ホタル狩りの名所として知られていたようです。ここのホタルは大きく、強い光を発するといわれ、ホタルの名所、京都の宇治や近江の瀬田にも勝り、夜空の星のように乱れ飛んでいたそうです。
「この地は蛍に名あり。形大いにして光も他に勝れたり。山城の宇治、近江の瀬田にも越えて、玉の如く又星の如くに乱れ飛んで、光景最も奇とす。夏月夕涼多し。此地の蛍狩は芒種の後より夏至迄を盛りとす。游人暮るるを待ちて、ここに逍遥し壮観とす。夜涼しく人定まり、風清く月朗らかなるにおよびて、始めて帰路をうながさん事を思い出たるも、一興とやいわん」
図3.江戸名所図会「落合螢」
図4.江戸名所図会「落合螢」彩色版(出典:神田川逍遙)
写真1.現在の下落合・妙正寺川
明治時代になってもこれらの名所は存続しており、さらには、江戸川や現在日本武道館のあるあたりのお濠にも相当のホタルが乱舞していたようです。
しかしながら、「春の小川を守る会」代表の品田氏の調査(1974)によれば、大正時代になると、目黒、目白、麻布、広尾あたりまで生息地が後退し、昭和10年には、山手線の内側は絶滅してしまいました。昭和25年には、中野区鷲ノ宮、杉並区高井戸、世田谷区鎌田まで後退し、昭和30年には、23区から姿を消し、小金井、狛江、昭和35年には、東久留米、立川、府中へと後退してしまったようです。ただし、これはヘイケボタルの場合で、ゲンジボタルはもっと早い時代に後退していったようです。
現在の東京都におけるゲンジボタルの主な自然発生地は、下図に示す場所(●)です。東京にしては以外にも生息地が多いことに驚かされます。実際は、小規模な生息場所も含めればかなりの数になります。発生数には地域差があり、数匹から数千匹という違いがあります。これら生息地の多くは、西日本に見受けられる川幅が10メートル以上もある渓流とは違い、里山を流れる細い小川や低山地の渓流というように決して川幅の広くない場所が多くなっています。
図5.東京都におけるゲンジボタル自然発生地
上図の生息地域の環境を分類すると
1)里山の谷戸
2)低山地の渓流
3)ハケの湧水地
というように大きく3つに分けることが出来ます。
次に、これら3つの生息地のタイプについて、細かく見ていきたいと思います。
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