ホタル百科事典

東京にそだつホタル

ホタルが飛ぶということ

〜ホタルに対する信念と理念〜  東京ゲンジボタル研究所  古河義仁

ホタルは、里山という豊かな自然環境の結晶である。

  都会の高級レストラン。ドメーヌ・ルフレーヴの余韻を楽しみながらのオードヴル。窓越しに見える庭園では、高層ビルを背景に小さな命が灯をともす・・・。或いは、家族連れで賑わう商店街。傍らの殺風景な流れでは、露店の明かりが途切れた一角で、1つ、2つとかすかな光。見つけるたびに、歓声があがる・・・。これはいずれも、最近のホタル狩りの光景である。豊かな里山環境の象徴と言われるホタルだが、学校、公園、ホテル、会社の受付等々、今や至る所で見ることが出来る。果たしてこれは、すばらしい自然が戻った結果なのだろうか。

  ホタルと出会って43年が経ち、これまでホタルの生態や生息環境の地域特性を調べてきた。いつも自然とホタルは多くのことを教えてくれる。そして感動を与えてくれる。あの場所を初めて訪れた時もそうであった。そこは、今でもすばらしい自然環境が数多く残されており、関東で一番早くホタルが発生する地域でもある。高速道路を降りると直ぐさま現れる水田と、その傍らにまっすぐに延びる単線は、都心から僅かな距離でありながら、さわやかな風と共に「田舎」というイメージを強く心に刻み込んでくる。

ホタル

幾重にも連なる低い山並みと緑の谷戸。(谷津ともいう)おそらく、どこを歩いても多くの生き物たちに出会えるに違いない。何気なく立ち寄った溜め池ですら、モリアオガエルの卵塊がせり出した木の枝に幾つもぶら下がり、水中ではトウキョウサンショウウオの幼生が、マルタンヤンマのヤゴに食われぬように逃げ回っている。道草を食うと思いがけない味わいに驚くものである。前菜を終えて、いよいよメインディッシュ。私を至福の時空へと誘うのは、こんもりとした茂みと広がる稲の原。それに沿うように流れる小川。土手は草刈りもされていない。草の匂い、土の匂い、そしてホタルの匂いを感じる。近くで農作業をしていた方に尋ねれば、「ホタルなんかいっぱいおるよ。」とぶっきらぼうな返事。ここでは、ホタルは珍しくもない普通の虫なのだろう。剛毅木訥な主人との会話は、あっという間に夕暮れの田園風景の中に吸い込まれていった。

  日没までの間、コンクリートジャングルを離れ、緑の大地を踏みしめながらゆっくりと散策すれば、普段は気づかないものもよく見えるものだ。新たな発見もある。フィールドワークの大切さをかみしめながら周囲の景観と一体になる自分を感じる時、ホタルに対する熱い思いが込み上げてくる。19時。日は沈んでもなかなか暗くならない。いつ光るのか。本当にいるのか。不安と期待を胸に待つ。やぶ蚊の襲来に抵抗しながら、ひたすら待つ。西の空から残照が消える頃、小川を覆う茂みの中でぽつりと光り出す。しばらくすると、それに呼応するかのように、またぽつりと光る。そして暗闇というタクトに合わせて彼らのシンフォニーが幕を開ける。ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」の冒頭を思わせるかのように、一匹が静かにゆっくりと飛び始める。そして、いつしか光のハーモニーは谷戸という舞台を埋め尽くし、やがて壮大なコーダへと展開していくのだ。民家も点在し、「里山」という人々の暮らしと共にある場所でありながら、車のライトや懐中電灯に照らされることもない。このホタルの舞う風景は、ここでは当たり前の事として、遙か昔から何ら変わることなく毎年続いてきたのだ。そして、里山という豊かな生態系に支えられる自然環境が、ホタルを育て身近な生き物として大切に守ってきたのだと改めて気づかされる。ふと気が付けば、何もかも忘れて「無」になっている自分がそこにいる・・・。

  日本各地でホタルの飼育や養殖が盛んに行われている昨今、水槽でたくさん飼育して、3月に幼虫を放流し、何百も成虫が飛んだと喜んでいる。一体、何年放流し続ければ定着するのだろうか。生態観察ではなく、いかに簡単に沢山の幼虫を飼育するかに終始する環境教育。餌とともに放つビオトープで成虫が産卵することはない。自然河川があるにも関わらず、河川の保全には目もくれず、その隣に何千万円という税金で人工的なホタルの小川を建設することも珍しくない。こうした施設の中には、担当者が変わっただけで飛ばなくなる所もあると聞く。ホタルが生息できない環境にも関わらず、イベント用として養殖業者から購入して何千匹と放す。彼らにとって、ホタルは単なる商品にすぎず、生態系だの遺伝子など関係ない。法的規制がないホタルビジネスは、もはや3億円市場だ。故に養殖業者が跳梁跋扈する。裏では、自然に発生している貴重なホタルが、次々と乱獲されているのである。遠方への移動によって遺伝子攪乱も頻繁に起こり、固有種は絶え続けている。餌として外来種の巻き貝も持ち込まれ、河川の生態系が崩れ掛けている。自然環境から離され、まつりやイベント等の客引きとして放される孤影悄然なホタルたちを見て、人々は自然環境に思いを馳せるのだろうか。真に癒されるのだろうか。「美しい国、日本」は、どこへ行くのだろう。里山という自然環境の中で本来のホタルの姿と出会う時、私はいつもこう思う。「彼らのためにできることは何か」と。

  日本人はホタルが好きだ。しかし現在の風潮は、人間の管理の下にホタルを出すこと飛ばすこと、ホタルを見て楽しむだけで、その先の風景に目は届いていない。このままでは、ホタルの舞う本来の情景も、風情を感じる感性も忘れてしまうのではないか。ホタルが飛ぶということの意味さえ忘れ、里山に乱舞する姿も消えてしまうのではないだろうかと心配でたまらない。レストランの恋人同士や商店街の親子の会話の中には、自然を慈しむ言葉は出てこない。まして、光でしか会話することのできないホタルが、言葉を失っていることなど知る由もない。ホタルが好きで、ホタルを里山という豊かな自然環境の結晶として捉え、日本の原風景の証のまま、いつまでも生きていて欲しいと思うならば、彼らの叫びに真剣に耳を傾けるべきである。

東京ゲンジボタル研究所  古河義仁


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